次回集会のお知らせ
- 2008/04/21(月) 10:42:46
次回集会のお知らせ
4月23日(水)
聖書研究と祈りの会
聖書:ガラテヤの信徒への手紙5:1〜12
場所:冨貴島教会集会室
4月27日(日)
教会学校
時間:9時15〜45分
聖書:創世記6−7章
お話:「ノアと神」池田伝道師
聖書輪読会
時間:9時50分〜10時10分
聖書:ヨブ記11章〜
主日礼拝
時間:10時30分〜11時30分
聖書:ヨハネ16章25−33節
説教:「負けないチカラ」 池田伝道師
「だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16章32−33節)
(説教予告)
前回、ヨハネによる福音書の「世」という言葉には、
「自分は神に奉仕している」(ヨハネ16:2)という自負があるユダヤ教の人々に、キリスト者が迫害されていたという時代的な背景がある、というお話をしました。ですからヨハネ書の「世」を単純にこの世の「世」と受け止めるのは正しくありません。洗礼を受けて新しくされたつもりでいても、「自分は神に奉仕している」という自己欺瞞に生きるならば、「世」の生き方には簡単につながってしまうでしょう。
全ての人に見捨てられ、それでもなおその人々をゆるし、死んでいったイエスの勝利とは、政治的・武力的・他を抑圧することによる勝利ではありませんでした。イエスは、「勝った」というよりは、最終的に「負けなかった」人だといえるでしょう。
そしてそれは私たちが、復活のイエスによって「平和を得るため」でした。「しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」これは、机上の、昔の本の上の、単なる虚しい慰めの言葉ではありません。今なお共におられるイエスの生き様・死に様・実存に結びついている確かなよりどころがある、言葉だといえましょう。確かなものにゆだねて、「平和」を得て遣わされてゆきましょう。
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