説教予告
- 2008/05/23(金) 13:35:25
5月25日(日)
主日礼拝
聖書:ヨハネによる福音書3章1〜15節
説教:「日曜日、風曜日」 池田季美枝伝道師
下記は、毎週の週報に載せている当日の説教要旨です。
「ニコデモが、年をとった人が、どうやって生まれることができますか。もういちど母親の腹に入って、生まれ直すわけにはいかないでしょう」と、イエスは言った。「はっきり言っておく。人はだれでも、水と霊から生まれないかぎり、神の国に入ることはできないのだ。肉(世俗)から生じるものは肉であり、霊から生じるものは霊である。『あなたがたはあらたに生まれなければならない』と言ったからといって、おどろいてはならない。風(霊)は思いのままに吹き、あなたはその音を聞いても、どこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれた人もみな、そうなのだ。」(『小さくされた人々のための福音』ヨハネによる福音書3章4〜8節より)
今日の説教題は「日曜日、風曜日」ですが、「風曜日」の風とは、上記の聖書の箇所からも明らかなように、霊(聖霊)の風のことです。私たちは日曜日教会に集い、礼拝をささげますが、それは週ごとに聖霊の風を受け、新たにされるため、ともいえるでしょう。その意味で日曜日は、風曜日です。ニコデモのお世辞のようなことば(2節)をきっかけとして、イエスは自分の教えを述べます。それは、神の国に入るための条件でした。生まれ変わることなしには、いかなる人も神の救いを見ることはできない、というものです。生まれ変わり、それはニコデモの言うような人間的な意味ではありません。また、「水と霊」とある以上、「洗礼(水による)」という儀式だけでも「生まれ変わり」は果たされないということになります。これはヨハネの教会に脱落者が出たことと関係しています。むしろここで特に強調されているのは「霊」のほうです。イエスは儀式や血縁、そういった肉(世俗)のことではなく、その内実の問題を問いかけています。目標は洗礼のようなサクラメント(聖礼典)的なこと自体にあるのではなく、霊から生まれ変わることにあるのです。霊は自由に動き、霊から生まれたものは自由です。その自由にふみとどまり、真の自由を風のように伝える者に変えられていきましょう。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません。」(ガラテヤ5:1より)
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